圓福 第135号
圓福 第135号
謹啓 今年の梅雨は短く、猛暑になると、水不足が心配になります。地球温暖化など、環境破壊は、大きな気候変動をもたらし、日本の四季もなくなってしまいました。服を販売するアパレルメーカーでは長い夏に対応するために、3月から11月迄夏物を、12月から2月に冬物を店先で並べるようになりました。電気自動車も充電施設が少ない日本では、まだまだ先のようです。また、その電気をまかなうための発電も、火力が中心で、温暖化を食い止めることは、企業の利益優先の前には、難しいのが現状です。蒸し暑く過ごしにくい、厳しい毎日が続いておりますが、如何お過ごしでしょうか、お伺い申し上げます。
さて、今回も法然上人のお言葉から、私達の日常生活のあり方を学びましょう。
たとえば、目しいたる亀の、浮き木の穴にあえるがごとし。
「例えば、盲目の亀が、百年に一回、海の底から海上にに上がってきた時、小さな穴の開いた木切れに頭がすっぽりとはまるほど、奇蹟のようなことです。」
この例え話は、お釈迦さまの説かれた「盲(もう)亀(き)の浮(ふ)木(ぼく)」というお経から、法然上人が引かれました。「お釈迦さまが生きていらっしゃる時に生まれず、尊い説法の場に居ることも出来ず、涅槃に入られる時にも居ることが出来なかった。それは、本当に悲しいことだ。けれど、生きとし生けるものが多く有る中、生まれ難い、人という存在で生まれてきた事、仏教が伝わってきた時代に生まれてきた事、これは、本当に奇蹟のように有り難い」と続けてこの言葉を述べられました。 考えてみれば、人間も単に地球上の生命体の一つに過ぎません。人間以外の植物や動物に生まれてきても不思議ではありません。また、人として生まれたとしても、どの時代の、どのような立場の家に生まれてくるかで、人生が大きく変わってしまいます。しかし現代でも、環境汚染による自然災害や少子高齢化、終身雇用もなく、若い人たちが、漠然と未来に明るい希望が持てません。戦後生まれの多くの人が、昔は良かったと言います。確かに、高度経済成長で、便利になり、住む家から持ち物まで、どんどん村や町に日本が新しく生まれ変わって、わくわくしたものです。最近では、昭和の建物や品物を並べたり、昭和歌謡曲も若い人たちに人気です。 どんな時代も良い時があり、悪い時があります。法然上人が、お念仏を布教された時代も、未来が見えない混沌とした、まさに、この世の終わりが近づいていると思われた時代です。そんな中、お念仏によって人々に心の平安と生きる希望を与えられました。それは、今、生きている、生かされているという事実に気づく事です。不平や不満を口にしても、行動を起こさなければ、何も変わりません。人として生まれてきた事、真実の真心によって生かされている事に気づき、感謝の心で、前に向かって進む事です。今は無き尊い命は、いつもどんな時も私たちの幸せを心から願い続けて下さっています。
下記の通り、そのご恩に、感謝の祈りを捧げる盆施餓鬼の法要を勤めます。是非ご家族、ご近所、お友達もお誘いあわせてお参り下さい。
七月二十一日(祝)
午前十一時半 | 昼食接待 |
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午後十二時半 | 説教(住職、地蔵寺住職) |
午後一時半 | 盆施餓鬼法要 |