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圓福 第121号

圓福 第121号

謹啓 早いものでまもなく秋のお彼岸を迎えます。コロナウィルスも第七波になり、日本では感染者数も爆発的に増えましたが、ピークを越えて、まもなく落ち着くと言われています。一日でも早く、マスク無しでも生活の出来る日常が戻ることを祈るばかりです。気を緩めずに個人個人が予防に気をつけて、終息に向けて、協力して進んで参りたいと存じます。
 さて、今回も、法然上人のお言葉から、私達の日常生活のあり方を学びたいと思います。
 

釈尊の在世に遇わざる事は悲しみなりといえども、
教法流布の世に遇う事を得たるは、これ悦びなり

 
「お釈迦さまから直接お説法を聞く機会がなかった事は悲しみですが、その尊い教えが日本に伝わり、出会うことが出来たことはこの上ない悦びです。」
素晴らしい人との出会いによって、生き方、考え方も変わり、今までと全く違う、よりよい人生を歩むことがあります。また、苦しみの中から出会った本に大きな影響を受け、未来が開け、希望が湧き出すこともあります。しかしながら、ただ平々凡々と何事にも興味や関心を持たず、日々を過ごしていては、尊い出会いも貴重な機会も手にすることも出来ません。人が生きる為には、衣食住が、必要です。たいていの人は、より良いものを持ちたい、身につけたい、美味しいものを食べたい、と思ってしまいがちですが、衣食支身命です。この体と命を支える為の衣食で、本来、必要なものだけで十分なのです。例えば欲しかったブランドのバッグを手にしても、日頃気に入らない人が持っているのを見た途端、喜びはなくなり、新しいバッグが欲しくなるでしょう。メーカーは人の見栄を張りたいと言う虚栄心をかき立て、利益を上げます。一つ手に入ると、次から次へと欲望は膨らむばかりです。少欲知足が、最も肝要です。そして、求めるものは、死んでしまっては持って行くことが出来ないお金や宝石などではなく、自分自身が輝く様な宝物となることです。美しい輝きの源は、燃える様な炎です。心に熱く理想を求める炎を絶やさないことです。輝きは、人を惹きつけ、人の希望となり、目標となり、目指す道となります。例え道半ばで死すとも、しっかりと踏みしめた光の道を人は後を追い、さらに先へと歩んでくれます。心の炎に必要なものは、感動、感激、感謝です。どんなに小さな事にも感動し、悦びで感激し、感謝致しましょう。尊い教えに目覚め、多くの命に支えられていることに気づき、思わず手が合わさる感謝を忘れない、それがまさに念仏の生活です。
 下記の通り、秋のお彼岸法要を勤めます。ご家族、お友達、お誘い合わせ是非、お参り下さいますようご案内申し上げます

合掌

九月十九日(祝) 


午前十一時半

昼食接待

午後十二時半

住職、阿弥陀院説教

午後一時半

彼岸施餓鬼法要